Title
檸檬のころ
Theater
tohoシネマ7
Day
2007/04/10

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 え〜、普段は小説なんぞホトンド読まないワタクシですが、コノ映画の原作本は読んでおりまして、ソレはヤッパリ、原作者の豊島ミホが、秋田出身だからと言うのが、大きな理由だろうと言うコトは、何に増しても明らかです。しかし、だからと言って他の秋田出身作家の本を全て読んでいるのかと言うと、そんなコトは全く無いので、その点に於きまして、豊島ミホがワタクシの中でスペシャルな存在なんだなぁ〜と言うのがハッキリと解りました次第です。

 多くの書評で書かれたりしていますが、檸檬のころで語られるのは、コンビニもない田舎に住む極々フツーの高校生が織りなす、ありふれた平凡なストーリーなんですけれども、だからコソ誰にとっても身近であると言えるのでしょうか。現実の自分には、物語の中と同じ様な出来事が発生したり発生していなかったりするのですが、その全てを、過去の自分に起こったコトだと、疑似体験にも似た感覚を思い起こさせる辺り、ワタクシの中での檸檬のころがスペシャルな理由として充分なのではないかと。ソノ親近感があるからコソ、ヤタラとキラキラ輝いて、読む人の心の中に、眩しい光を射し込ませるのではないかと思うワケです。

 原作は短編の連作集でございまして、1話毎に主人公が違います。ある話でゲスト的に出て来た人が別の話で主人公だったり、主人公の相手役(ソコはソレ、平凡な思春期の話ですから、相手と言える程ハッキリした関係じゃないワケだったりするんですけれども。)が別の話で主人公になってみたりと、ソレらの連なりがホントに見事で、相互の作中でストーリーが補完されている部分もあったり、放っとかれる部分もあったりするんですけれども、ソレらも含めてですね、読み終えた時に1つの小説として完結している辺り、ジャンルもテーマも呆れる程違うのですが、10年位前迄のシティーボーイズライブを思い出したりしてみました。

 映画の方はですね、ソレらの内から数話をピックアップ…って言うか、どっちかって言うと数話を削除した上で、メインとなる2つのストーリーが平行する様に描かれます。2つのストーリーにはそれぞれに主人公がいるのですが、映画になったからと言って、急に親友になったりとかはしません。同じクラスにいる、只の級友として、特に仲が良くなったりとか悪かったりとか、そう言う関係に設定を置き換えない辺り、映画監督である岩田ユキの、原作に対する愛情を感じずにはいられません。まぁ原作では、いつの間にかカナリ仲が良くなってたりするんですけれども。

 映画の話ですけれども、もう何ですか。冒頭のシーンって言うか、正確に言うと1カット目からワタクシですね、目がウルウルと潤んでしまいましたよ。いえ、1カット目がどんな映像かと言うと、只単に校庭越しに校舎が見えているダケなんですけれども。続いて長い廊下が映し出され、次に生物室が見えるワケなんですけれども、郷愁と言うか、懐かしさと言うか、そんなモノが込み上げてきます。他の人が同じ様に感じるかどうかは解りませんが、どう一生懸命頑張っても、もう2度と手の届かない場所の存在を明らかにされた。そんな感覚です。

 秋田出身の原作者が描く高校時代の話は、モチロン秋田が舞台なんですけれども(いや、そうは明示していないか。しかし、どう考えてもアソコです!)、映画では栃木でロケをした様です。原作好きな上、秋田で生まれ育ったワタクシとしては、映画化の話を聞いた時は是非とも秋田でロケをして欲しい!いや、するべきだ!とか思ったのですがどうやらですね、誰の心にも懐かしさを…ってコンセプトがあったらしく、そうなると雪は必要ないモノになるっぽいです。冬に雪が積もるってのは、雪国出身者以外には日常の出来事ではないですからね。

 ま、映画の舞台が秋田じゃないからと言って、檸檬のころの魅力が消えてしまったってコトは一切ありません。逆になんて言うんですか、純粋培養されたと言うか、だからコソ大切にされたと言うか、強烈に、ストレートにワタクシの胸に突き刺さって来ます。映画として減点されるべきポイントは1つもありません。しかし、ソコまでの完成度であるからコソ、ヤッパリ秋田でロケをして欲しかったと言う気持ちも消し去るコトが出来ません。出来るならですね、『檸檬のころ - akita version -』なんて映画を作ってくれやしないかと、とても実現しそうのない願いを持ってみたり。え〜、ヤッパリあり得ないので、自分の頭の中ダケで、場面を秋田の景色と合成して楽しむコトにします。

 榮倉奈々や谷村美月の魅力もさるコトながら、ワタクシの心を更にムギュムギュと鷲掴みにしたのが、ロック少年辻本君を演じる林直次郎君の存在です。孤高のロッカー振りがヤケに板に付く林直次郎君は、現実にもミュージシャンであるそうで、演技達者な競演陣の中、1人セリフが棒読みだったりするのですが、物語が進むにつれて、全く気にならなくなっていきます。コノ辺はですね、撮影が進むにつれて林直次郎君の演技が上手くなったのか、ソレとも過去に、水野晴郎の棒読みセリフに触れたコトがあるからでしょうか。おそらく大概の人は、放っといても段々演技が上手くなっていくんだと思いますが、全く変わらない、或いは進むにつれて段々酷くなっていく水野晴郎の例は、真にレアな存在であると言えるでしょう。いや、水野晴郎の話はどうでも良いのですが。

 林直次郎君なのですが、現実には高校を卒業したてぐらいの、行ってても20歳位の人かなぁと思って観ておりましたトコロ、撮影中は15歳だったと言うから驚きです。マサに檸檬のころを地で行く世代の出現に、更に目眩が進みます。劇中の文化祭で1曲披露する設定になっておりまして、それが本映画の主題歌なのですが、ソレを林直次郎君自身が作曲したと言うから、もうワタクシの体に初めての生理がもう1回来た!(作中のセリフ)って位の衝撃を投げ掛けております。とてもですね、15歳が作曲したとは思えません。ちなみにコノ主題歌、『hikari』って言うんですけれどもエンドロールを読みますと、作詞が白田恵、作曲が辻本一也と、劇中の設定通りになっているのも見逃せません。

 今現在、檸檬のころ真っ直中のヤング達が、コノ映画や原作に触れて、郷愁とか懐かしさとか(或いは羨望!みたいなモノ)を感じるのかどうか解りませんが、そう言う人達の感想も聞いてみたいなぁ〜なんて思ったりもしています。ワタクシがティーンエイジャーだった頃、周りにいる大人達は、青春時代はあっと言う間に過ぎ去って、2度と戻って来やしないから、悔いの残らない様に生きなさい!とか言ってくれていたんですけれども大概ですね、そう言う人達は一所懸命勉強しなさいとかスポーツしなさいとかしか言わないんですよ。勉強もスポーツも平均点(以下?)だったワタクシは、じゃあどうしたら良いの?と言う疑問を、現在迄持ち続けているともし言ったら、好い加減にしろ!と、張り倒されて終わりでしょうか。

 と、そんな、過去の自分と現在の自分、そして過去の自分を大切に思う自分の気持ちに気付かせてくれる映画であり、原作でございました。作中で、『僕の限界を先生が決めないで下さい!』ってセリフがありましたが、あれはソノママですね、今の自分にも当てはめるコトが出来そうで、只々、過ぎ去った青春を懐かしむダケに止まらないトコロが、更にワタクシの心を惹き付けている次第でゴザイマス。

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 Director 岩田ユキ      Running time 1:55  Cast 榮倉奈々 谷村美月 柄本佑 石田法嗣 林直次郎

Title
レディホーク
Theater
DVD
Day
03/03/09

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 '80年代に乱立したヒロイックファンタジーもの。昼は鷹に変身させられる姫と、夜は狼に変身させられる騎士が、おしゃべりなコソ泥と、自分達を裏切った神父と共に、運命を切り開くために大司教と対決する。

 雪のように白い肌。天使のような声。美しい姫君。全てミシェルファイファーのためにある様な言葉。月夜にハーフシャドーで浮かぶミシェルはホントに美しいです。も少し出番が多ければ良いのにな。

 悪者じゃない役のルトガーハウアーはカナリ貴重品。'80年代、出だしのシンセサイザーミュージックは、今聴くとカナリ安物のDTMっぽいです。

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 Director リチャードドナー      Running time 2:01  Cast ミシェルファイファー マシューブロデリック

Title
レッドプラネット
Theater
松竹有楽座
Day
01/01/21

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 2000年代火星物第2弾。キャリーアンモスもバルキルマーもモット動いてコソ華。昆虫=宇宙生命説はココでも生きている。火星に不時着した宇宙飛行士達が、ロシアの探査船で母船に帰投するコトになった時、『動くかどうか解らないぞ、ロシア製だからな。』と言っていたが、近未来でも現代と状況はソンナに替わらないようだ

 哲学的なコトを語る科学者がいたが、アインシュタインもダビンチも最終的には神秘論者になっていたので、物事を突き詰めると、ヤッパリ最後はそうなってしまうと言うコトだろうか?

 ところで、現代でも近未来でもコンピュータの誤作動程恐ろしい物はない。(実感。)船長のモノローグで物語が始まるのは、アメリカの宇宙物の伝統だろうか?

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 Director アントニーホフマン      Running time 1:46  Cast キャリーアンモス バルキルマー